TOKIWA
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連載・第一篇 SERIES PART I
巻第一 第三

正八幡宮

Shō Hachiman-gū no Koto — Shintōshū, Vol. I, No. 3
典拠神道集 巻第一 第三
著者渡邉 朱鷺
巻第一 第三
原 典

正八幡宮は山城国綴喜郡に在す。宇佐八幡宮より勧請せらる。

八幡大菩薩は震旦(中国)より来たり、日本に渡って石清水の峯に顕現す。本地は阿弥陀如来なり。垂迹は応神天皇なり。

神功皇后三韓征伐の時、神託ありて「我は応神天皇の御霊なり。八幡と号す」と。また「我は天照大神の御子孫なり。国家を鎮護し、仏法を擁護す」と託宣あり。

石清水八幡宮は清和天皇の御時、貞観元年(859)に創建せらる。八幡の名の由来は、八正道を守る故に八幡、八苦を離るる故に八幡なり。

大仏建立の時、神託ありて「我が力によりて銅を以て大仏を鋳るべし」と。これにより東大寺大仏の建立を助け、国家の守護神と成る。

全国に八幡社数万あり。本地垂迹の理を明らかにし、神仏一体の証なり。

【要 約】

石清水八幡宮(正八幡宮)は京都・山城国綴喜郡に鎮座し、宇佐八幡宮から勧請された社である。八幡大菩薩は震旦(中国)より来日し、石清水の峰に顕現したとされる。本地仏は阿弥陀如来、垂迹は応神天皇。清和天皇の貞観元年(859年)に創建。神功皇后の三韓征伐の折の神託「国家を鎮護し仏法を擁護す」と、東大寺大仏建立への神助という二つの歴史的エピソードが権威の根拠として示される。宇佐八幡宮事(第二)が始祖縁起であるのに対し、正八幡宮事は宇佐の分霊が都に近い山城国に鎮座した経緯を語る「分社縁起」の位置づけをもつ。

【注記】

「石清水八幡宮」は現在の京都府八幡市に鎮座し、伊勢神宮・賀茂社とともに三社とされた王城守護の社。宇佐八幡宮事の本地仏が「釈迦如来」であるのに対し、正八幡宮事では「阿弥陀如来」が設定されており、同じ八幡神でも分社ごとに本地仏が異なる場合がある点は注目に値する。

「貞観元年(859年)」に行教上人が宇佐八幡の神託を受けて男山(石清水山)に勧請したという史実に基づく。石清水八幡宮は平安期以降の王権・武家双方から篤く崇敬され、宇佐・石清水の両八幡は「二所八幡」とも称された。

── 本地仏対応表 ──
垂迹鎮座地本地仏
応神天皇(石清水八幡宮)山城国綴喜郡(男山)阿弥陀如来