TOKIWA
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参考文献 REFERENCE
第二十六

神楽

Mikagura-ji — Shintōshū, No. 26
典拠神道集 巻第五 第二十六
著者渡邉 朱鷺
巻第五 第二十六
原 典

そもそも刧初の人は、姿形美しく、身に光明を帯び、天に登ることも自在で、快楽は思いのままであった。寿命は一千歳、身長は一千尺、或いは二千尺であった。

神武天皇元年(辛酉)年から今の文和三年(甲午)年まで二千四十七年である。

崇神天皇の御時、日本の諸国に一宮を建て、殊に神祇を崇めた。神道・行幸・神輿・神駕の事などはこの御時に始まった。この儀式は八十余代、年序は一千四百四十余年になる。これは人代の儀式である。

聊かでも絵馬を奉納し、僅かでも幣帛を供え、散供を撒けば、神は深く喜ばれる。ましてや、金銀を以て御輿を飾り、珠玉を以て鳳輦を飾れば、神はどれだけ喜ばれるだろうか。現世における栄楽、後生善処の願望が叶うことは疑い無い。

そもそも神楽とは、「千石破(ちはやぶる)」の古から始まった。日本記によると、「茅葉屋」には多くの意味が有る。一は「茅葉屋経」、二は「千石破」、三は「山破」、四は「茅葉屋振」、五は「千鉾振」と様々に書く。

常葉の木は、今の榊であり、即ち「神の木」と書く。天岩戸の前で庭火を焚き、八百万の神々が集まり神楽を行い、天照太神は天岩戸を細めに開いてこれを見た。すると、天照太神の御姿が鏡に写って耀いた。その時に八百万の神々はこれを見て、「あな面白し」という言葉は、これから始まった。

第三の「山破」とは、天手力雄神の事である。春日宮の御前に東向に祀られた小社がこれである。

第四の「茅葉振」とは、天岩戸の前で八百万の神々が庭火を焚き、神楽を行った事を云う。その時に色々な茅の葉を手に捧げ、鈴を副えて舞った。

本地垂迹の理を明らかにし、神仏一体の証なり。

【要 約】

神楽の起源は天岩戸神話に求められる。天照太神が岩戸に隠れた時、八百万の神々が庭火を焚いて神楽を行い、鏡に映った天照太神の姿に「あな面白し」と言ったことが神楽の始まりとされる。崇神天皇の時代に一宮制度・神輿・行幸などの神道儀式が整備され、神護景雲元年(767年)の春日遷座にも繋がる。榊は「神の木」として神楽に欠かせず、天手力雄神は春日宮の小社として祀られる。神楽は神仏一体の証として国家・民衆の信仰の基盤をなす。

【注記】

「神楽」の語源を「千石破(ちはやぶる)」に求め、「茅葉屋」の五つの解釈を列挙する部分は、中世における語源考証(語源語彙論)の興味を示す。「ちはやぶる」は枕詞として神に冠する古語で、神の荒々しく尊い力を意味する。これを「茅葉屋」という漢字表記と結びつける中世的解釈は、神仏習合思想の中で神道語彙を体系化しようとする試みの一端である。

「あな面白し」という言葉の起源を天岩戸神話に求める説明は唱導文学の典型的な手法である。「面白し」(おもしろし)の語源を「面(おも)が白く照り輝く」——すなわち天照太神の御顔が鏡に映って輝いた場面——に求めるこの解釈は、中世の語源説話として広く流布した。

天手力雄神(岩戸を開けた神)が春日宮の東向きの小社として祀られるという記述は、春日大社と天岩戸神話を直接結びつけるものである。春日大社と興福寺が一体化し、神楽も神仏習合の文脈に置かれることで、神道の儀式全体が仏教的宇宙観の中に組み込まれている。

「文和三年(1354年)」という年次の言及は、『神道集』の成立時期を示す重要な内部証拠の一つである。これは南北朝時代中期にあたり、本書が北朝方の寺社勢力の唱導活動の中で生まれた文献であることと符合する。