この御神の大社は常陸国の鎮守・鹿嶋大明神これなり。
仏法守護鎮護国家の為に、人皇四十八代称徳天皇の御代、神護景雲元年に三笠山に移り来た。南都に移る時、一丈程の白鹿に乗り、二人のお供を連れた。その二人の御供とは時風・秀行である。
春日四所明神の一宮の本地は不空羂索観音である。二宮の本地は薬師如来である。三宮の本地は十一面観音である。四宮の本地は文殊菩薩である。本地垂迹の理を明らかにし、神仏一体の証なり。
天照大神の御前において天津児屋根の子孫が天子の政治を助け、大日如来・十一面観音が帝・后となり、国を守り、人民を憐れむ。故に本朝の神と云うのである。
春日大明神は藤原氏の氏神として顕現し、興福寺と一体なり。本地垂迹の理を明らかにし、神仏一体の証なり。
春日大明神の本体は常陸国・鹿島大明神(武甕槌命)である。仏法守護・国家鎮護のため、称徳天皇の時代の神護景雲元年(767年)に白鹿に乗って三笠山(春日山)へ遷座した。春日四所明神の本地は一宮が不空羂索観音、二宮が薬師如来、三宮が十一面観音、四宮が文殊菩薩である。藤原氏の氏神として、氏寺である興福寺と神仏一体の関係を持ち、藤原氏による天皇補佐を神仏習合の論理で正当化している。
「一丈程の白鹿に乗り」という遷座伝承は春日大社の創建神話の中核をなす。白鹿は武甕槌命の神使であり、神の移動手段として聖性を帯びる。御供の「時風・秀行」は中臣(藤原)氏の祖神に仕えた人物とされ、藤原氏の神社への奉仕を神話的に起源づけている。
春日四所明神の本地仏の組み合わせは興味深い。不空羂索観音(一宮)は奈良の南円堂の本尊でもあり、藤原氏が特に崇拝した観音である。文殊菩薩(四宮)は学問・知恵の仏で、藤原氏の文官的性格を反映している。この四社の本地仏は興福寺の各堂本尊とも対応する。
「大日如来・十一面観音が帝・后となり」という記述は、天皇と皇后を仏の垂迹として神聖化し、藤原氏の摂関政治(天皇の外戚として政治を補佐する体制)に神仏習合的な正統性を与えている。これは本章が唱導文学として、藤原氏の政治的権威を宗教的に裏付ける機能を持っていたことを示す。
巻第三「鹿島・香取大明神事」では武甕槌命・経津主命による国譲りが語られた。本章はその後日談として、鹿島から春日への「西への移動」を仏法守護・国家鎮護という大義で説明している。
| 宮 | 祭神 | 本地仏 |
|---|---|---|
| 一宮 | 武甕槌命 | 不空羂索観音 |
| 二宮 | 経津主命 | 薬師如来 |
| 三宮 | 天児屋根命 | 十一面観音 |
| 四宮 | 比売神 | 文殊菩薩 |