TOKIWA
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連載・第一篇 SERIES PART I
巻第二 第六

熊野権現

Kumano Gongen-ji — Shintōshū, Vol. II, No. 6
典拠神道集 巻第二 第六
著者渡邉 朱鷺
巻第二 第六
原 典

役行者と婆羅門僧正は熊野権現の本地を信仰された。縁起によると、甲寅の年に唐の霊山より王子信の旧跡が日本の鎮西豊前国の彦根大嶽に天下った。その形は八角の水晶で、高さは三尺六寸であった。その後、各所で長い年月を経た後、神武天皇四十三年壬寅に熊野権現として顕れた。その後、本朝に仏法が渡来したが、まだ幽微であった。それから三百余年を経て、四十余代の帝の御代、役行者と婆羅門僧正が参詣して本地を明らかにした。

此の国に来てから七千年は顕現しなかった。そもそも熊野権現と申し奉るのは、八尺の熊となって飛鳥野に現れたので「熊野」と云うのである。

牟婁郡の摩那期に住む千代包という猟師が獲物を待っていると、八咫烏が現れた。猟師は大きな猪に手傷を負わせて跡を追い、八咫烏に導かれて進んだ。途中、大平野という場所で、烏の色が変わり金色に見えた。後にある人が云うには、金烏は太陽であり、外典に「金烏は天上に遊ぶ」とあるのが即ち是れである。

曽那恵に着くと、そこには猪が倒れており、烏は何処かへ見えなくなった。猟師は空に光り物を見つけて怪しみ、大鏑矢でその光り物を狙った。光り物は三枚の鏡で、「我は天照大神の五代目の子孫で摩訶陀国の主である。王をはじめとして万民を守る神である。熊野三所として顕れたのは我が事である」と答えた。

猟師は弓矢を捨て、袖を合わせて非礼を詫びた。木の下に三所の庵を造って「こちらにお移り下さい」と祈ると、三枚の鏡は庵に移った。猟師は薯蕷を掘り、鹿肉を切って供物とした。五月五日だったので、糧食の麦飯に薯蕷や菖蒲を添えて供えた。

その後、熊野権現は三所権現として顕現した。証誠権現は阿弥陀如来である。因位の昔は摩訶陀国の善財太子である。中御前は薬師如来である。因位の昔は五衰殿の女御である。西御前は千手観音である。因位の昔は善財太子の母である。若一王子は十一面観音である。禅師王子は十一面観音である。聖王子は龍樹菩薩である。児王子は如意輪観音である。子守王子は請観音である。一万王子は普賢菩薩である。十万王子は文殊菩薩である。十五所は釈迦如来である。飛行夜叉は不動尊である。米持権現は愛染王または毘沙門天王である。

熊野権現はこれらの本地を有し、衆生を救済する慈悲の神として顕れた。これより熊野三山に社殿を建立し、万民に利益を施している。

【要 約】

熊野権現の縁起は役行者・婆羅門僧正による本地の信仰を起点に語られる。唐の霊山から豊前国彦根大嶽に天下った八角の水晶が長い年月を経て熊野権現として顕現した。「八尺の熊となって飛鳥野に現れた」ことが「熊野」の地名の由来とされる。猟師・千代包が八咫烏に導かれ、空に光る三枚の鏡を矢で射ようとすると、鏡が「我は天照大神の五代目の子孫・摩訶陀国の主である」と名乗り熊野三所として顕れたことを告げる。猟師が詫びて庵を造り供物を捧げたことが熊野の祭祀の起源とされる。証誠権現・中御前・西御前の三所をはじめ、若一王子以下の諸王子・眷属の本地仏が詳細に列挙される。

【注記】

「八咫烏(やたがらす)」は熊野三山の神使として著名な三本足の烏。神武天皇の東征を導いた神話上の鳥であり、現在も熊野三山の神紋に用いられる。「役行者(えんのぎょうじゃ)」は7世紀の修験者で修験道の開祖。

証誠権現(本宮)=阿弥陀如来(未来)、中御前(速玉)=薬師如来(現在)、西御前(那智)=千手観音(現世)という対応は「三世を救う仏」の構造をなしている。二所権現事との比較において、熊野権現事は「前生の人間ドラマ(前生譚)」をほとんど持たず、「光り物の顕現と猟師による発見」という在地的な縁起形式をとる点が異なる。

── 本地仏対応表 ──

熊野三所権現

権現名比定社前生(因位)本地仏
証誠権現熊野本宮大社摩訶陀国の善財太子阿弥陀如来
中御前熊野速玉大社五衰殿の女御薬師如来
西御前熊野那智大社善財太子の母千手観音

諸王子・眷属

名称本地仏
若一王子十一面観音
禅師王子十一面観音
聖王子龍樹菩薩
児王子如意輪観音
子守王子請観音
一万王子普賢菩薩
十万王子文殊菩薩
十五所釈迦如来
飛行夜叉不動尊
米持権現愛染王または毘沙門天王