TOKIWA
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参考文献 REFERENCE
第四十五

釜神

Kamagami-ji — Shintōshū, No. 45
典拠神道集 巻第八 第四十五
著者渡邉 朱鷺
巻第八 第四十五
原 典

人皇二十八代安閑天皇の御代に、釜神が日本に弘まった。

近江国甲賀郡の由良の里から一人の男が年貢を納めに都に上った。その帰路、甲賀の山中の大木の下で寝ていると、夢に神が現れ、「我は奥津比売命なり。汝の家に釜神として鎮座せん。汝の家に在る釜を以て我を祀れ」と託宣あり。

男は目覚めて家に帰り、釜を祠に納め、毎日飯を炊いて供えた。すると家は繁栄し、火災なく、食物豊かになった。近隣の民もこれを聞き、釜を祀るようになった。これが釜神の始めである。

本地は奥津比売命にして、大戸日別神なり。本地垂迹の理を明らかにし、神仏一体の証なり。

釜神は家屋の守護神にして、火の神なり。衆生を済度する為に釜として顕現す。これ神道の深義なり。

【要 約】

安閑天皇の時代、近江国甲賀郡の男が都への年貢上納の帰路、山中で眠ると夢に奥津比売命が現れ「釜神として鎮座したい。家の釜を以て祀れ」と託宣を授けた。男が釜を祠に納め毎日飯を炊いて供えると家は繁栄し、これを聞いた近隣の民も次々に釜を祀った。これが釜神信仰の始まりである。本地は奥津比売命(大戸日別神)。釜神は火の神・家屋の守護神として衆生を済度するために竈として顕現した。

【注記】

奥津比売命(おきつひめのみこと)は『古事記』の神産みの段で、伊奘諾・伊奘冉が生んだ火の神・迦具土神を埋葬した際に生まれた竈神の一柱である。「大戸日別神(おおとひわけのかみ)」は同じく竈・火を司る神で、両者を同一視する点は中世の神道説にみられる重複同定の一例である。本地として仏を挙げない珍しい章であるが、「神仏一体の証」という常套句を付すことで習合的位置は確保されている。

「近江国甲賀郡の由良の里」という地名指定は具体性を与えるが、安閑天皇(在位531〜535年頃)の時代に近江から京への道中というのは歴史的に不自然な設定でもある。これは実際の歴史的事実の反映ではなく、滋賀・伊賀国境に位置する甲賀(くわえて忍者・修験の地として中世に神秘性を帯びていた地域)への親しみやすい地理的イメージを縁起に利用したものと考えられる。

本章の縁起の骨格——旅の帰路に夢で神の託宣を受け、家の日用品を神体として祀ると家内が繁栄し、それが近隣に波及する——は、鏡宮事(第四十四)の老翁の鏡縁起と対照的である。鏡宮は「偽りの言葉から真の信仰が生まれる」という逆説的構造を持つのに対し、釜神事は「真摯な夢告と日常的な供物(飯を炊く)から信仰が自然に広まる」という民俗的リアリズムの構造を持つ。

「毎日飯を炊いて供えた」という祀り方は、神体に特別な神具を必要とせず、日々の炊飯そのものが供養になるという発想である。竈神は食事の準備と火の管理という最も日常的な家事の場に宿る神であり、本章はこの庶民的信仰形態を本地垂迹の枠組みに取り込んで正統化している。巻第五「地神五代事」との連動も意識されており、国産みで生まれた神が近江の農民の夢に降りるという空間的・時間的な縮尺の落差が、神仏習合文学の独特の詩学を形成している。