人皇二十二代雄略天皇の御代、駿河国富士郡に子供のいない老夫婦が住んでいた。「死後、極楽往生できるよう、仏祭りをしてくれる御魂子が欲しい」と祈っていたところ、後ろの庭の竹林から、五つ六つほどの幼女が現れた。
夫婦はこれを養い、赫野姫(かくやひめ)と名づけ、美しく成長した。
姫は天の頂に住む福徳大弁財天女にして、天照太神の幸魂なり。本御名は千眼大天女と申す。
やがて駿河国司が姫を娶り、夫婦となる。姫は「我は天上の仙女なり。富士山の頂に仙宮あり、帰らねばならぬ」と告げ、夫(国司)と別離の悲しみを抱きつつ、富士山頂に昇り、仙宮に帰還す。
これにより、赫夜姫は富士浅間大菩薩の女体として顕現し、夫は男体として顕現す。本地は千手観音菩薩(または釈迦如来とする説もあり)なり。
富士山は雪山にして、頂に仙宮あり、神仙思想と結びつき、不老不死の霊山なり。本地垂迹の理を明らかにし、神仏一体の証なり。山中に霊験多く、衆生を済度する。
此の山を富士山と名る事いわれなきにあらず。此山の大神浅間大菩薩と申は即天照太神の幸魂にして、本御名は千眼大天女と申す。天の頂に住給ふ福徳大弁財天女にておはします。
雄略天皇の御代、駿河国富士郡の老夫婦の庭の竹林から五・六歳ほどの幼女が出現し、赫夜姫(かくやひめ)と名づけられて育てられる。姫は「天照太神の幸魂にして、本名・千眼大天女、天上の福徳大弁財天女」であり、駿河国司と結婚した後、「富士山頂の仙宮に帰らねばならぬ」と夫との別離を嘆きながら昇天する。
この別離を契機に赫夜姫は富士浅間大菩薩の「女体」として、夫の国司は「男体」として顕現するという、夫婦が一対の神格をなす独自の本地垂迹論が展開される。本地仏は千手観音菩薩(異説:釈迦如来)。「山頂に仙宮あり、不老不死の霊山」という神仙思想と、天照太神・弁財天・観音という三重の神格が重なり合う、富士信仰の重層性を示す章である。
「赫夜姫(かくやひめ)」は『竹取物語』の「かぐや姫(輝夜姫)」と同一の話型に基づく。竹の中から出現、美しく成長、天上に帰還という骨格を共有しながら、『神道集』では「富士山=仙宮」「夫との愛別離苦が神格化の契機」という変形が施され、在地の富士信仰縁起として再構成されている。白山権現事(第三十五)の注記で触れた「信濃の浅間も同じ御神」という記述が対応する。
「幸魂(さきみたま)」は神霊の分魂のひとつで、福徳・恩恵をもたらす側面を指す。天照大神の幸魂が浅間大菩薩として現れるという設定は、伊勢神宮の最高神を富士山の地主神に結びつける大胆な神話的接合である。「千眼大天女(せんげんだいてんにょ)」は「浅間(せんげん)」の音に「千の眼を持つ天女」という意味を重ねた当て字的神名で、千手観音(千の手と眼)との本地仏対応を視覚的に示唆する。
「男体・女体の二面性」は夫婦神を一体の神格として表現する形式で、二所権現事(伊豆山・箱根)や諏方大明神事(甲賀三郎・春日姫)にも見られる『神道集』の典型的な神格対構造である。「愛別離苦(愛する者との別離の苦しみ)」を顕現の契機とする点は、上野国グループ(赤城・伊香保・児持山)の「苦難から神へ」という縁起構造と通底する。
| 神体の別 | 垂迹・前身 | 神格の重層 | 本地仏 |
|---|---|---|---|
| 女体 | 赫夜姫(かくやひめ) | 天照太神の幸魂 千眼大天女 福徳大弁財天女 |
千手観音菩薩(主説) 釈迦如来(異説) |
| 男体 | 駿河国司(夫) | — | — |