TOKIWA
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連載・第一篇 SERIES PART I
巻第七 第三十九

玉津島明神

Tamatsushima Myōjin-ji — Shintōshū, Vol. VII, No. 39
典拠神道集 巻第七 第三十九
著者渡邉 朱鷺
巻第七 第三十九 玉津島明神事
原 典

第十二代景行天皇に衣通姫といふ后がいた。衣通姫は大和国山辺郡の地頭・山辺右大臣高季卿の娘なり。

天皇が亡くなり、姫が悲嘆に暮れて居たる時、三十五日目の暁に天井で物音がした。

姫は嘆きの歌を詠み、和歌浦に身を投げ、玉津島明神として顕れ給ひた。其の後、帝も神として顕れ給ひた。男体と女体あり。本地は観音菩薩なり。本地垂迹の理を明らかにし、神仏一体の証なり。

【要 約】

景行天皇の后・衣通姫が天皇崩御後に悲嘆し、和歌浦に投身して玉津島明神として顕現した縁起。帝もまた後に神として顕れ、男体・女体の二神として鎮座する。本地は観音菩薩で、和歌の神としての信仰を本地垂迹の枠組みで説明する。

【注記】

玉津島神社(和歌山県和歌山市)は住吉明神・人麻呂とともに和歌三神の一つに数えられ、衣通姫を祭神とする。衣通姫(そとおりひめ)は記紀では允恭天皇の后として登場するが、神道集では景行天皇の后として語り直されており、在地伝承との融合がみられる。和歌浦(わかのうら)は『万葉集』でも詠まれた著名な景勝地で、「和歌」の語と「和歌浦」の地名が結びついて和歌の神格が形成された過程を示す縁起として重要。投身による神格化は橋姫・女人月水神事などの女神縁起と共通する物語類型。

── 本地仏対応表 ──
前生の姿(因位)顕現先・場所本地仏
衣通姫(后)玉津島明神 女体観音菩薩
景行天皇玉津島明神 男体