TOKIWA
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連載・第一篇 SERIES PART I
巻第一 第一

神道由来之事

Shintō Yurai no Koto — Shintōshū, Vol. I, No. 1
典拠神道集 巻第一 第一
著者渡邉 朱鷺
巻第一 第一
原 典

天地開闢の時、虚空に一つの物有り。形は葦の芽の如く、これ化して神と成る。これを国常立尊と云う。

次に国狭槌尊現る。次に豊雲野尊現る。

次に宇比地邇神・須比智邇神・角杙神・活杙神・意富斗能地神・大斗乃弁神・於母陀流神・阿夜訶志古泥神・伊奘諾尊・伊奘冉尊現る。これを神世七代と云う。

伊奘諾尊・伊奘冉尊は天の浮橋に立ち、天の瓊矛を以て海を探り、潮の滴りて成れる島を淡路島と名づく。次に生みて淡道之穂之狭別島、次に伊予之二名島、次に筑紫島、次に伊岐島、次に佐岐島、次に淡島、次に大倭豊秋津島を生む。これを大八島国と云う。

次に山・川・草木を生み、次に神々を生む。

神道の根本は天地開闢より始まり、神代七代を経て、人皇の御代に至る。

神は仏の本地なり。仏は神の垂迹なり。これを本地垂迹と云う。

神仏一体の理を明らかにし、衆生を済度する。これ神道の由来なり。

【要 約】

天地開闢から神世七代(国常立尊から伊奘諾・伊奘冉まで)の系譜と国生み神話を概説する。「神は仏の本地なり。仏は神の垂迹なり」という本地垂迹説の原理を宣言し、「神仏一体の理を明らかにし衆生を済度する」ことが神道の由来であると締めくくる。この一段落が『神道集』全体の理論的基盤であり、以降のすべての縁起物語はこの枠組みの中に位置づけられる。

【注記】

「本地垂迹(ほんじすいじゃく)」の「本地」は「本来の姿・正体」、「垂迹」は「仮に現れた姿」を意味する。この思想によれば、日本の神々は仏・菩薩が日本の衆生を救済するために仮に神の姿をとったものとされる。

「衆生を済度する」は仏教語で、全ての生きとし生けるものを苦しみから救い悟りへと導くこと。この一語が、神道を仏教による衆生救済の枠組みの中に位置づけている。