東海道原宿渡邉家——序
はじめに
東海道五十三次の十三番目の宿駅、原宿——現在の静岡県沼津市原——に、戦国時代から幕末・明治にかけて活動した一つの家がある。原宿渡邉家である。
天文十七年(一五四八)の今川義元朱印状写から、明治・大正・昭和に至る辞令類まで、この家に関わる文書は、合わせて約三千二百点が現存している。静岡県立中央図書館に「駿河国駿東郡原宿渡辺家文書」として一千五百五十五点、沼津市明治史料館に「原 渡辺家文書」として一千六百六十三点。これだけの規模で、戦国期から近代に至るまでの一つの家の活動を記録した文書群が、地方の一宿駅の家から伝来していること自体が、極めて稀有な事実である。
この家は、源頼朝の弟・阿野全成(一一五三〜一二〇三)の子孫であるという家伝を継承してきた。本連作は、この家伝の真実性を、複数の角度から論証することを目的とする。
阿野全成・時元(〜一二一九年頃)から、戦国期に文書上に登場する渡邉八郎左衛門(一五四八年初出)までの間には、約三百三十年の系譜的空白がある。この空白を直接埋める一次史料は、現時点では確認されていない。直接の系譜接続を一次史料で立証することはできない。
しかし、断定できないことと、論証の方法が無いことは異なる。歴史学において、直接の証明が困難な事柄について、複数の状況証拠を積み重ねることで蓋然性を論じることは、正当な方法である。本連作はこの方法を採る。
論証の核心は、三千二百点の史料群そのものが、阿野全成の系譜の継承を物語る、ということである。戦国期に文書を残せた地方の家は極めて稀である。さらに、戦国大名から朱印状を受けた家として、戦国期から近代まで連続して文書を継承してきた家は、地方史において他に類を見ない。原宿渡邉家のこの特異な史料状況こそが、家伝の真実性を支える最も強い物証である。
一 史料の所在
原宿渡邉家に関わる文書は、現在、二つの所蔵機関に分かれて伝わっている。
第一は、静岡県立中央図書館所蔵『駿河国駿東郡原宿渡辺家文書』(一千五百五十五点)である。昭和五十六年(一九八一)までに渡辺八郎氏によって寄贈されたもので、同館が同年十一月に刊行した『古文書目録』に解題と目録が収められている。多くは現在、静岡県立中央図書館の「ふじのくにアーカイブ」によってデジタル公開されている。この文書群は、宿駅・助郷・人馬継立に関わるものを中核としながら、絵図・触書・諸家人馬印鑑・宿浜方漁業・新田開発・富士講・証文・書簡など、原宿の地域における政治・経済・宗教・文化の各分野にまたがる史料を含む。一九カテゴリーに分類されている。
第二は、沼津市明治史料館所蔵『原 渡辺家文書』(一千六百六十三点、一千三百二件)である。平成三年(一九九一)から平成五年(一九九三)にかけて、渡辺勝子氏によって同館に寄贈されたもので、同館が平成五年に『史料目録15 原 渡辺家文書目録』として刊行している。整理・目録原稿作成は学芸員・樋口雄彦氏による。この文書群は、本陣・宿駅、年貢・領主財政、借金・質地、土地、愛鷹牧、漁業、戸口、教育・文化、家、領収証、書状、辞令、近世その他、近代その他、書籍、書画、物品など、十八のカテゴリーに分類されている。歴代当主が乱舞・俳諧・和歌などに造詣が深かったため、文化活動を示す史料も豊富である。重要なことに、この文書群には家系図(「原渡辺家略系図」)が含まれており、家の自己認識を示す根本史料となっている。
両者を合わせれば、戦国期から近代に至るまでの一つの家の活動を、宿駅運営、年貢・財政、土地経営、漁業、寺院との関わり、家伝、教育・文化の各方面から、多角的に記録した、稀有な史料群となる。総数は約三千二百点。
二 二つの渡邉家——本家と分家
原宿渡邉家は、近世初頭に二つの系統に分かれた。この二系統の構造は、本連作を通じて重要な意味を持つので、序においてあらかじめ整理しておく。
元和元年(一六一五)、徳川家康の側室・お万の方(養珠院、紀伊・水戸徳川家の母)が原宿に来訪し、本陣の主人・渡邉八郎左衛門に対し、原宿に日蓮宗の寺院がないことを知って寺の創建を勧め、日蓮の尊影と寺地を賜った(『沼津市史 史料編 近世2』、p.263)。
これを受けて、当時本陣を勤めていた長男・八郎左衛門は、昌源寺の建立と経営に専念するため、本陣職を弟・平左衛門に譲って分家した。家としては反発があったが、八郎左衛門は決断を貫いた。家名「八郎左衛門」と原浦の漁業権を持って分家したのが八郎渡邉氏(分家・長男系)であり、本陣職を継承して以後代々「平左衛門」を襲名し幕末まで本陣を営んだのが本陣渡邉氏(本家・次男系)である(沼津市明治史料館『史料目録15 原 渡辺家文書目録』解題、および『沼津市史 史料編 近世2』p.211)。
通常、武家の家督制度においては長男が本家を継ぐのが原則である。長男が分家して弟が本家を継ぐというのは極めて異例である。長男・八郎左衛門の判断は、世俗の家督よりも宗教的使命を優先する選択であった。家としての強い基盤と精神性があったからこそ、このような決断が可能だったと考えられる。
以後、両系統は並行して存続した。本家(次男系・平左衛門系)は本陣・問屋・牧士として街道に面した活動を担い、分家(長男系・八郎左衛門系)は原浦の漁業権を持つ津元として、また昌源寺の檀越として、別の方向の活動を担った。
血統上の直系は長男系(八郎左衛門系)であり、家督上の本家は次男系(平左衛門系)である——この区別は、本連作を読むうえで重要となる。なお、戦国期以前は両系統が分かれる前の家として、「八郎左衛門」が当主の家名であった。元和元年に長男が家名「八郎左衛門」を持って分家したのは、家の本来の名前を継承した形である。
史料の伝来も、この二系統に対応する。静岡県立中央図書館蔵の一千五百五十五点は分家(長男系)の伝来によるもので、宿駅運営・浜方漁業・富士講関連に厚みがある。沼津市明治史料館蔵の一千六百六十三点は本家(次男系)の伝来によるもので、本陣・年貢・愛鷹牧・教育文化に厚みがある。両系統がそれぞれ家伝文書を守り続けた結果、合計三千二百点が現在に伝わっている。
三 連作の構成
本連作は、序を含めて全八篇から成る。
序——本稿。連作の見取り図、史料の所在、論証の方法を示す。
第一篇 戦国期から近世初頭の渡邉家——朱印状二点と長男分家の意味
戦国期に文書を残せた家の稀少性、天文十七年・天正六年朱印状の分析、お万の方来訪と長男分家、徳川家康による源氏としての認知。家伝を支える起点の論証である。
第二篇 本陣としての二百五十年
本陣の規模と特性、享保四年・延享二年の二度の火災と再建、諸大名・公家の通行、明治元年の明治天皇東幸。
第三篇 問屋・人馬継立と助郷の経営
元禄七年から始まる助郷帳の連続、人馬継立の運営、助郷係争の事例。街道経営の具体相を論じる。
第四篇 愛鷹牧の牧士として
牧士という役職の性格、平左衛門陸英以来の牧士継承、愛鷹牧の経営。
第五篇 原浦の津元——浜方漁業の経営
分家(長男系)の主要事業、上松四郎兵衛からの漁業権継承、西組大網の津元制度、明治期の漁業近代化。
第六篇 昌源寺と富士講——地域の宗教的中心として
昌源寺の経営、富士講関連史料群、巻物・印可状、民間宗教の伝授拠点。
第七篇 嘉永四年・大泉寺墓所整備——家伝の継承の最終的姿
嘉永四年(一八五一)の墓所整備、家系図、結論——複数の状況証拠の総合。
結語
天文十七年の今川義元朱印状から、嘉永四年の六五〇年忌墓所整備まで、原宿渡邉家文書は、地方の家の歴史を語る稀有な史料群として、その全体像の解明を待っている。本稿はその研究の出発点であり、これに続く七篇の論文を、順次論じてゆきたい。
戦国期に文書を残せた地方の家は極めて稀である。さらに、戦国大名から朱印状を受けた家として、戦国期から近代まで連続して文書を継承してきた家は、地方史において他に類を見ない。原宿渡邉家のこの特異な史料状況こそが、家伝の真実性を支える最も強い物証である。連作の各篇を通じて、史料に即してこのことを論じてゆく。
参考文献
・静岡県立中央図書館『古文書目録』昭和五十六年(一九八一)十一月、「駿河国駿東郡原宿渡辺家文書」解題
・沼津市明治史料館『史料目録15 原 渡辺家文書目録』平成五年(一九九三)
・沼津市史編さん委員会・沼津市教育委員会編『沼津市史 史料編 近世2(町宿・文化)』沼津市、二〇〇〇年
・渡辺八郎「原宿の封建体制」『駿河』第二〇号
・渡辺八郎「近世に創設された寺院——特に原宿昌源寺について——」『駿河』第二四号、一九七四年
・沼津市立駿河図書館編『原宿問屋渡辺八郎左衛門日記』一九七九年
・沼津市明治史料館編『愛鷹牧』一九九一年
・平凡社『日本歴史地名大系 第二二巻 静岡県の地名』二〇〇〇年
・静岡県立中央図書館「ふじのくにアーカイブ」(デジタル公開資料)